シリーズ「校長の仕事」 ~講演会講師編~(後編)
どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
今日のブログは、「校長の仕事」~講演会講師編~(後編)。このテーマの最終話です。
(前編)(中編)では、今回の講演会「変革期を迎える高校教育」の講師を引き受けたきっかけや講演内容をつくっていく過程をお話ししました。
今日は、講演当日の様子をお話しします。よろしくお付き合いください。
講演会に参加していただいた方々は、5つの小中学校の教職員と保護者の皆様でした。
ということで、「オープニング」では、自己紹介として私の略歴や家族構成をお話ししました。
略歴の特徴の一つは、「小学校、中学校、高校の3校種で勤務してきた」という点です。さらに「小中学校に勤務していた頃には、小学校1年生から中学校3年生までのすべての学年の担任を経験する」という幸せにも恵まれました。
家族構成としては、「4人の子どもの父親であるとともに2人の孫がいます。ただ、父としても祖父としても自ら合格点をつけられるような働きはしていませんが…」ということをお話ししました。
その後、「千原台高校の現況」をお話しし、今日のコンテンツとして、「① 教育に関する時代背景」「② 千原台高校の実践」「③ 大人の役割(教師、親)」の3つを示して「オープニング」は終了です。
「① 教育に関する時代背景」として話した内容は、教育実践家として活動されている藤原和博さんの著書「10年後、君に仕事はあるのか?」(ダイヤモンド社)に書かれていることを参考にし、「現在の学校教育では『情報処理力(早く正解にたどり着く力)』をつける教育への比重が高いが、その比重を『情報編集力(正解のない問いに対して納得解を見つける力)』をつける教育にシフトしていく必要がある。」、「現在、その比率は『9:1』だが、これを『7:3』くらいまで持っていくことが必要」という考え方を紹介しました。
続いて「千原台高校の実践」の紹介です。
「魅力づくり部の新設と探究プロジェクト活動」、「eスポーツ部の意義と活動の様子」、「多様性を包括した教育活動」などについて映像を交えて紹介していきました。
そして、「クロージング」は「大人の役割」です。
まずは、「教師の役割」を示すために私が考える「良い教師の条件」を話しました。
それは、「リレーション力」「ファシリテーション力」「ミッション・パッション」の3つです。この中身については、1月31日~2月2日に更新したブログでお話ししていますので、こちらをご参照ください。これも(前編)から(後編)までの3話構成ですが、下に(前編)のリンクを貼っておきます。
https://blog.hatena.ne.jp/senntaro1228/senntaro1228.hatenablog.com/edit?entry=4207112889958982036
次に「親の役割」として、子育てのコツを二つお話ししました。
一つ目にお話ししたのは、我が子に接するときの原則「自己決定、自己責任、情報提供」です。
もう一つは「最大の子育てのコツは、子どもを中心に親と教師がパートナー(共同経営者)になること」という私が信条としてきたことをお伝えし、講演会を終えました。
参加者の方からは、
「どれも『確かに!』と納得のいくお話ばかりでした。」
というありがたいお言葉をいただきましたが、何より私自身にとって、現在取り組んでいる千原台高校の実践やこれまでの自らの実践を振り返ることが出来る貴重な経験となりました。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。
ロアッソ熊本 J1の扉に手をかけるも… 数センチの差で扉は開かず
どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
「残念。無念。悔しい…」
J1参入決定プレーオフでの、京都との試合を終えたロアッソ熊本に対する、試合後の私の思いです。
後半アディショナルタイム、コーナーキックの流れから放たれた熊本のFW平川のシュートは、京都のゴールポストを叩きました。
「あと数センチ内側にボールが飛んでいれば…」
「たら… れば…」は。スポーツでは禁物と知りながらも、思わずそのような思いがわいてしまいました。
今日のブログでは、1-1の引き分けに終わり、ロアッソ熊本がJ1への昇格を果たせず、京都サンガが残留を決めた試合を振り返ります。
先発メンバーは、昨日のブログやYouTubeのプレビュー動画で予想していた通り、両チームとも直近の試合と全く同じメンバーでした。
試合前から、スタジアムは「一発勝負独特の緊張感」に包まれ、その緊張感通りの立ち上がりで試合は始まります。
両チームが、お互いに良いところを出し合い、ほぼ五分五分の内容で進んでいきます。
そんな前半38分。熊本がビッグチャンスをつくります。杉山がドリブルからの鋭いシュートを放つと、そこに、高橋も合わせて滑り込みますが、これを京都のGK上福元がうまくはじき出し、そのボールを上福元が押さえました。
そして、このボールを前線にフィード。京都のMF川崎がヘッドで競り勝ち、ボールをすらすと、これを受けたのは京都のFW松田でした。松田は、前方で斜めに走り込んでいるFW豊川に浮き球のスルーパス。これを豊川が、見事に熊本のゴールに流し込み、この後の熊本に重くのしかかる先制ゴールを京都が奪いました。
ビッグチャンスのあとに訪れた「一瞬のすき」。そこを突いたのは、熊本県出身の松田、豊川の両選手という、私にとっては、何とも言えない複雑な気持ちになるゴールでした。
このゴールにより、「熊本がJ1の扉を開くには、2点が必要」という苦しい状況になりました。
前半はこのまま1-0。京都がリードして終了します。
「点を取るしかない」という状況の熊本は、後半12分に坂本→ターレスという1枚目のカードを切ります。
ターレスが右サイドのFWに入り、盛んに縦に仕掛けます。
後半23分、右サイドでコーナーキックを得ると、キッカーは河原。右足から放たれた鋭いボールにイヨハがヘディングで合わせてシュート。ボールは京都のGK上福元の手をかすめて、ゴールに吸い込まれました!
ゴール裏の熊本サポーターが歓喜に沸いています。
私もTVの前でガッツポーズ!
この後も、30分に三島、黒木、高橋→藤田、阿部、粟飯原の3枚替え。
43分に杉山→土信田と5枚のカードを使い切って、熊本が総攻撃を仕掛けます。
後半のアディショナルタイム、左からのコーナーキックを得ると、ここもキッカーは河原。熊本はGK佐藤もゴール前に上がり、最後の望みをかけた攻撃です。
ゴール前に走り込んだ佐藤が京都の選手に倒されたようにも見えましたが、プレーはそのまま続行。こぼれたボールが平川の前に…
平川は、迷わずシュート。このシュートは、京都の選手に当たり、再び、平川の前に跳ね返ってきます。
ここで、もう一度シュート。ゴール方向へ鋭く放たれたシュートは、ゴールポストを叩き、無情にも跳ね返されました。
「あと数センチ内側に飛んでいれば…」
そして、試合終了を告げるホイッスル。
「あと数センチの差」で、J1の扉を開くことは出来ませんでした。
京都との「数センチの差」は、何だったのか?
その点については、本日公開予定のYouTube解説でお話ししたいと思います。
今は、私たちをここまで連れてきたロアッソ熊本の大木監督をはじめてするスタッフ、選手の皆さんに、
「ありがとうございました。お疲れさまでした。」
と伝えたいです。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。
ロアッソ熊本 21508人の大観衆の中で敗戦… 4位は確保
どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
「21508人」
ロアッソ熊本にとっては、2011年7月の富山戦(25005人)に次ぐチーム史上2番目の大観衆の中で行われたJ2リーグ第42節・ロアッソ熊本対横浜FCの一戦は、一時は3-1とリードしたロアッソ熊本でしたが、その後、3失点。3-4で逆転負けという結果に終わりました。
今日は、この一戦を振り返ります。
熊本の先発メンバーは、
GK 佐藤
DF 黒木、菅田、イヨハ
MF 三島、河原、竹本
FW 杉山、高橋、平川、坂本
前節と全く同じメンバーです。
対する横浜FCは、3-4-2-1の布陣。この試合が「引退試合」となる中村俊輔が、トップ下のポジションで先発起用されました。
試合の立ち上がり、主導権を握ったのは熊本でした。
前半5分、前線の激しい守備で奪ったボールを杉山が冷静にシュート。早くも先制点を奪います。
その後、横浜も前線からの激しい守備を行い「プレスの掛け合い」という様相に。
そんな前半20分、熊本が前がかりになったところで、横浜が右サイドの奥へロングパス。これを受けた横浜のMFイサカゼインが熊本のDFをかわして、ペナルティーエリアに侵入。プルバックのパスを送ると、これを受けたJ2得点ランク1位の小川が、冷静にシュートを決めて、同点に追いつきます。
このまま前半は終了。
ハーフタイムでのメンバーチェンジは、両チームともなしで、横浜の中村俊輔も再びピッチに立ちました。
後半の立ち上がりも熊本の攻撃陣が横浜ゴールに迫ります。
後半1分には、坂本がペナルティーエリア内で冷静なドリブルから横パス。これを杉山が再び、ゴールに沈めて2-1とすると、続く後半3分には、河原からのスルーパスに抜け出したFW高橋が見事なループシュートを決めて、一気に2点を追加。
3-1と熊本がリードを広げます。
しかし、これも束の間。後半9分に横浜のカウンター攻撃でDFラインを突破した小川が今季26点目となるゴールを決めて、スコアは3-2。
後半15分、横浜が中村俊輔、山下→伊藤、山根という最初のカードを切ります。
中村俊輔がピッチを去る時には、横浜の全選手が駆け寄り、握手したり、ハグをしたりして送り出し、会場からもわれんばかりの拍手が送られました。
その後、さらに和田、斎藤→マルセロヒハン、ハイネルというカード切った横浜が、これら途中交代で入った選手の活躍で同点弾、逆転弾を決めて、試合をひっくり返し、横浜の劇天な逆転勝利ということになりました。
この試合の詳しい解説は、下のURLからYouTubeでご覧ください!
試合には負けたものの、5位の大分も負けたことにより、熊本の順位は4位が確定。
10月30日㈰にホームで、大分とプレーオフ1回戦を戦うことになりました。
昨日のブログで書いたこの試合の3つのポイント、「ポゼッション率」、「先制点」、「攻守の切り替え」のうち、前の2つはしっかりと出来ていたこの試合の内容は良かったと思います。
プレーオフ1回戦に向けては「攻撃から守備への切り替え」、「粘り強い守備」をさらに磨いて、試合に臨めば、必ず結果はついてくると思います。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。
お盆休み返上! 教員採用試験に向けて…
どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
今日は8月15日。お盆休みの最終日という方も多いかと思います。私もその一人。千原台高校も今日までは「閉庁日」です。
しかし、毎年、この時期も「お盆休み返上」で頑張っている人たちがいます。
それは、本採用の教師を目指して教員採用試験を受ける若者たちです。
今年も10名の若者が、アドバイスを求めて私を頼ってくれています。
熊本では、熊本県教委育委員会の採用試験と熊本市教育委員会の採用試験が行われ、熊本県の試験は8月14日に論文の試験が行われ、熊本市では8月16日に論文の試験が実施されます。
その後、面接や模擬授業が行われていきます。
昨日も数名の若者たちとともに面接、模擬授業の練習を行いました。
そのうちの1名は他県の出身。3度目の教員採用試験への挑戦ということで、
「3年連続で、『お盆の里帰り』をしていないので、昨日、母から『今年も帰って来ないんだね…』と電話がありました。」
と話してくれました。
お盆休み返上で「教師への道」に情熱を燃やす若者たちの夏。
すべての若者の情熱が実を結ぶように、私も出来る限りのサポートをしていきたいと思います。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。
知の越境法 池上彰著(光文社新書)に学ぶ!(前編)
どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
今日のブログのタイトルは「知の越境法 池上彰著(光文社新書)に学ぶ!」です。
本書の帯には「『専門を決めない』学びのススメ」という著者の言葉が記されています。
著者の池上彰さんについては、以前のブログでもご紹介しましたが、ここでもう一度おさらいしておきます。
池上彰(いけがみあきら)
フリージャーナリスト。名城大学教授。1950年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学卒業後、1973年にNHK入局。松江放送局、呉通信部で、自治体・警察・裁判所・日銀支店を担当し、地方において国家・社会の縮図を見る。76年のロッキード事件では松江から取材に参加。79年より東京に移り、社会部で警察庁・文部省・宮内庁を担当。積極的に現場に入り、日航機事故も取材。94年より、「週刊こどもニュース」のキャスター(お父さん役)として国民的人気を得る。2005年よりフリーに。名城大学のほかに、東京工業大学、立教大学、愛知学院大学、信州大学、日本大学、順天堂大学で教鞭を執る。(本書背表紙より引用)
このプロフィールを読んだだけで、池上さんが「いかに人生の中で多くの『越境』をしてきたか」をうかがい知ることが出来ます。
この本を書いた理由について、著者は次のように述べています。
「この本を書くに当たって、改めて自分の過去を棚卸ししてみると、意外と越境の人生だったことに気づきました。それも『受け身の越境』のほうが『自発の越境』より多かったのです。『受け身の越境』というのと、仕事の上では『左遷」と表現されることが多いでしょう。でも、『左遷』だと思えば左遷になるし、『絶好のチャンス』と考えれば、業務分担の壁を軽やかに飛び越えることが出来るのではないかと思うのです。
年齢を重ねるほどに越境の機会が減ります。黙っていても減るわけですから、無理にでもその機会を作る必要があります。読者のあなたにそれを促そうというのが本書の目的です。」(本書p4より引用)
そして、この本を読了してみて、私自身の人生を著者同様に棚卸ししてみると、やはり、越境の人生だったような気がします。
私は、1986年に熊本大学教育学部保健体育科を卒業し、22歳で熊本県の小学校の教師になりました。
初めて赴任した学校は、下益城郡不知火町立(現在は宇城市立)不知火小学校でした。
そこで、小学校4年生の担任として、社会人生活をスタートしました。
その後、私の人生にどのような「越境」が訪れたのか?
それは、明日の(後編)でお話しますね。
余談ですが、実は今日のブログにも「小さな越境」がありました。
「パソコンがない!」
そう、いつもこのブログを書いている愛用のノートパソコンを昨日、校長室に忘れて来ていたのです!
道は2つ。
朝5時半から学校へ行って勤務開始前にブログを書くか?
手持ちのスマホでブログを書くか?
私は後者を選択し、今日のブログは、私史上初の「スマホで書いたブログ」ということになります。
やってみると、以外にストレスなく書くことが出来ました!
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。