知の越境法 池上彰著(光文社新書)に学ぶ!(前編)
どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
今日のブログのタイトルは「知の越境法 池上彰著(光文社新書)に学ぶ!」です。
本書の帯には「『専門を決めない』学びのススメ」という著者の言葉が記されています。
著者の池上彰さんについては、以前のブログでもご紹介しましたが、ここでもう一度おさらいしておきます。
池上彰(いけがみあきら)
フリージャーナリスト。名城大学教授。1950年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学卒業後、1973年にNHK入局。松江放送局、呉通信部で、自治体・警察・裁判所・日銀支店を担当し、地方において国家・社会の縮図を見る。76年のロッキード事件では松江から取材に参加。79年より東京に移り、社会部で警察庁・文部省・宮内庁を担当。積極的に現場に入り、日航機事故も取材。94年より、「週刊こどもニュース」のキャスター(お父さん役)として国民的人気を得る。2005年よりフリーに。名城大学のほかに、東京工業大学、立教大学、愛知学院大学、信州大学、日本大学、順天堂大学で教鞭を執る。(本書背表紙より引用)
このプロフィールを読んだだけで、池上さんが「いかに人生の中で多くの『越境』をしてきたか」をうかがい知ることが出来ます。
この本を書いた理由について、著者は次のように述べています。
「この本を書くに当たって、改めて自分の過去を棚卸ししてみると、意外と越境の人生だったことに気づきました。それも『受け身の越境』のほうが『自発の越境』より多かったのです。『受け身の越境』というのと、仕事の上では『左遷」と表現されることが多いでしょう。でも、『左遷』だと思えば左遷になるし、『絶好のチャンス』と考えれば、業務分担の壁を軽やかに飛び越えることが出来るのではないかと思うのです。
年齢を重ねるほどに越境の機会が減ります。黙っていても減るわけですから、無理にでもその機会を作る必要があります。読者のあなたにそれを促そうというのが本書の目的です。」(本書p4より引用)
そして、この本を読了してみて、私自身の人生を著者同様に棚卸ししてみると、やはり、越境の人生だったような気がします。
私は、1986年に熊本大学教育学部保健体育科を卒業し、22歳で熊本県の小学校の教師になりました。
初めて赴任した学校は、下益城郡不知火町立(現在は宇城市立)不知火小学校でした。
そこで、小学校4年生の担任として、社会人生活をスタートしました。
その後、私の人生にどのような「越境」が訪れたのか?
それは、明日の(後編)でお話しますね。
余談ですが、実は今日のブログにも「小さな越境」がありました。
「パソコンがない!」
そう、いつもこのブログを書いている愛用のノートパソコンを昨日、校長室に忘れて来ていたのです!
道は2つ。
朝5時半から学校へ行って勤務開始前にブログを書くか?
手持ちのスマホでブログを書くか?
私は後者を選択し、今日のブログは、私史上初の「スマホで書いたブログ」ということになります。
やってみると、以外にストレスなく書くことが出来ました!
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。